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大召

大召寺は、内蒙古自治区の省都フフホト市の旧跡に位置し、モンゴル語で「イクジョ」と呼ばれ、大きいお寺を意味しています。大召寺は1580年、明の時代に立てられたもので、本堂で銀色のお釈迦様の仏像を祭っていることから、「銀仏寺」とも呼ばれています。大召寺で収蔵されている多くの文物は、モンゴル族の歴史と宗教文化を研究する上での貴重なデータです。

 

 

 

 

席力図召

席力図召は明の万暦13年(1585)に創建され清の康熙年間に拡張されフフホト最大のチベット仏教寺院となる。その後も清の雍正、咸豊、光緒年間にも拡張されている。400年以上の歴史があるチベット仏教寺院なのだがフフホトの市街地にあるために建物が綺麗に整備されている。

 

 

王昭君陵墓

内蒙古自治区(内モンゴル自治区)は、東西に長く伸びており、東から順番に黒龍江省?吉林省?遼寧省?河北省?山西省?陝西省?寧夏回族自治区?甘粛省と南に接していて、北側はモンゴル国?ロシア連邦と接しています。 

辛亥革命ののちに、外モンゴルが独立を宣言し、1924年にソ連の衛星国としてモンゴル人民共和国となりましたが、内モンゴルは[徳王]が独立運動を行い、1939年に日本の関東軍の援助で張家口に蒙古連合自治政府を成立させせました。 日中戦争後、徳王は内モンゴルを追われ、1947年に中国共産党の下で[ウランフ]を長とする内モンゴル自治区人民政府が成立しました。 これが現在の内モンゴル自治区の起源となり、中華人民共和国の自治区の中では最も早い成立となりました。 中ソ対立の軍事的緊張下の為、1969年には内モンゴル生産建設兵団を設置し、1970年には行政区画の大幅な変更が行われました。

 

 

希喇穆仁草原

希喇穆仁草原モンゴル語で「黄色い川」という意味で、フフホト(呼和浩特)から北100キロのところにある。希喇穆仁草原は俗に「台河」と呼ばれており、希喇穆仁川の近くにある「普会寺」というチベット寺院からとった名前である。普会寺は、呼和浩特の席力図召6世活仏の避暑のための御所として、1769年に建てられたものである。その建物の装飾美は壮麗である。希喇穆仁草原は典型的な高原草原で、夏から秋にかけて、草は青々と伸び、花も草原一面に咲き乱れる。その景色は何ともいえず美しい。ここ数年来現地政府の投資により旅行施設が充実してきた。

市街から南へ離れた所に中国4大美女の1人、王昭君の墓は小高い丘の上に廟のようなものが立てられており、丘の手前には馬に乗った王昭君と匈奴の単于(王)の銅像がある。

 

 

呼和浩特博物館

呼和浩特(フフホト)市の中心部にある。1957年に建てられ、内モンゴルの最大の綜合博物館である。

メインの建物の屋根に疾走する白色の駿馬が造られて、内蒙古自治区のマスコットとして発展のシンボルとなっている。館内の収蔵物が豊富で、常時一般開放している。主に《内モンゴル文物陳列》、《内モンゴルの近代?現代文物展示》と《内モンゴルの民族民俗文化財陳列》からなっている。大量の実物から、内モンゴル地区の歴史や自然の姿と社会の発展が伺える。国内外の観光客から中国の最もよい博物館の一つだと誉められている。

 

 

清真大寺

呼和浩特(フフホト)清真大寺はイスラム教の寺院で、呼和浩特(フフホト)市古城の北門の外にある。

清代の乾隆年間、イスラム族が大量に新疆から呼和浩特まで移住してきたので、現地ではじめてこんな規模広大なモスクを建てたのである。寺院の正門は西に向って建てられて、その上にアラブ語で寺院の名が刻まれており、色々な図案もついて飾っている。寺院の建築は宏壮で、主に聖殿、講堂、イスリム浴室などがある。933年に教徒の寄付で、境内に6角4階の塔は築かれており、その造形が簡潔で美しい。アラブ語『コーラン経』は30冊収蔵さえれており、貴重な文献の資料だとさている。

 

 

万部華厳経塔

 

俗に「白塔」と言い、フフホト市東郊の白塔村にあります。遼の聖宗時代に創建されて以降、代々改修が行われてきました。八角7層 楼閣式の木塔で、高さ43m。

 

 

 

 

 

 

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